身にしみて痛感は二重表現?誤用疑惑の真相とビジネス敬語の正解

身にしみて痛感は二重表現?誤用疑惑の真相とビジネス敬語の正解

身にしみて痛感は二重表現?誤用疑惑の真相とビジネス敬語の正解に関するポイントを詳しくまとめました。詳細な解説をご覧ください。

結論から明かせば、「身にしみて痛感」は明白な二重表現(重言・じゅうげん)です。「頭痛が痛い」「馬から落馬する」といった日常的な重複表現と同じ構造的欠陥を抱えており、公的なビジネス文書や改まったスピーチでは避けるべき表現と位置づけられます。

なぜ二重表現と断定できるのか、それぞれの言葉が持つ本来の語義を分解すると、その理由が浮き彫りになります。

まず「身にしみる(身に染みる)」という慣用句は、「心身に深く染み込むように感じる」「寒さや苦痛、人の情けなどが骨身に応える」という意味を持ちます。外部からの刺激や出来事を自らの身体と心で強く受け止める様を指しています。

一方の「痛感(つうかん)」は、漢字が示す通り「身を切られるような痛みを覚えるほど、強く身にしみて感じること」を意味する名詞です。辞書(『広辞苑』『大辞林』など)の定義を見ても、「痛感」の解説文自体に「身にしみて深く感じること」と明記されています。

つまり、「身にしみて痛感する」という文字列は、「身にしみて、身にしみて強く感じる」と言っているのとまったく同じ意味の重複を起こしています。「痛感」という二字熟語の中にすでに「身にしみる」というニュアンスが完全に包含されているため、修飾語として「身にしみて」を前置することは、論理的な屋上架屋(屋根の上にさらに屋根を重ねる無駄)に他なりません。

文学作品の修辞や詩的表現として、あえて感情の高ぶりを強調するために重複させる手法(強意法)が例外的に許容される場面はあっても、論理性と簡潔さが尊ばれるビジネスや公的言論において、この重複は「教養の欠如」あるいは「推敲不足の悪文」と判定されます。

斉藤 蓮
著者

斉藤 蓮

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。