飛鳥から奈良へと移り変わる時代、日本は激動の渦中にあった。唐や新羅といった東アジアの強国に対抗するため、朝廷は何としても強固な集権国家を急造しなければならなかった。その法的基盤となったのが、701年に制定された大宝律令だ。
大宝律令が定めた支配の骨格は極めてシンプルかつ冷徹だった。国家が人民に口分田を与えて生存を保障する見返りとして、強烈な納税義務を課す。収穫高の数パーセントを納める「租」だけではない。地方の特産物を都へ運ぶ「調」、都での労役やその代納布である「庸」、さらには防人や衛士として徴兵される軍役まで、民衆の肩には過重な負担がずしりと乗しかかった。律令国家とは、慈悲深き福祉国家ではなく、中央の巨大都市を建設・維持するための冷徹な収税マシーンだったのである。