現役引退後、年寄・鶴竜を襲名して後進の指導にあたっていた彼が、日本相撲協会の承認を経て下した決断が「音羽山部屋」の創設でした。陸奥部屋からの分家独立という形を取りつつも、その背景には自らの手でゼロから力士を育て上げたいという強い信念がありました。
部屋の立ち上げには、単なる稽古場の確保にとどまらない周到な準備が重ねられました。音羽山親方として彼が目指したのは、厳しい上下関係のみに依存しない、規律と対話が共存する育成環境です。若手力士たちが自発的に課題を見つけ、稽古に打ち込める空間作りが徹底して進められました。