戦前の日本を象徴する旗として旭日旗を思い浮かべる人が少なくない背景には、旧日本軍がアジア太平洋地域で展開した軍事行動の記録映像や、連合国側が作成したプロパガンダポスターの強い刷り込みがあります。しかし、大日本帝国における国旗の正式名称や制度上の位置づけを遡ると、旭日旗が国旗であったとする言説は明白な誤認であることが分かります。
近代国家としての日本が国旗を公式に定めた起点は、明治維新直後の1870年2月27日(明治3年1月27日)に発布された太政官布告第57号「商船規則」にあります。この布告において、日本の船艇であることを対外的に明示するための旗章として「白地に赤丸」の日章旗(御国旗)が図面入りで規格化されました。寸法は縦横比が7対10、日章の直径が縦の5分ノ3、中心を旗竿側に100分ノ1寄せるといった精密な仕様が規定されていたのです。
さらに同年10月には、太政官布告第651号「海軍御旗章国旗章並諸旗章」が定められ、海軍の礼装や軍艦における標識が体系化されました。ここでも国家を象徴する「国旗章」は白地に赤い丸の日章旗であり、旭日光線を描く意匠は後述するように海軍の特定用途旗や軍艦旗へと割り振られていきました。当時の大日本帝国憲法下において単独の「国旗法」という名の統一法典こそ制定されなかったものの、これらの太政官布告と外交上の慣習によって、内外ともに日本の国旗は日章旗であると確固たる認知がなされていたのが動かぬ事実です。