映画の成功後、ローリン・ヒルの音楽キャリアは驚異的なスピードで加速していきます。彼女は高校時代にワイクリフ・ジョン、プラズと共に結成していたヒップホップグループ「フージーズ(The Fugees)」の活動に本格復帰。1996年にリリースされたセカンドアルバム『The Score』は、ロバータ・フラックの名曲をカバーした『Killing Me Softly』の世界的大ヒットも手伝い、世界中で1,800万枚以上を売り上げるモンスターアルバムとなりました。
さらに1998年、彼女は自身のすべてを注ぎ込んだソロデビューアルバム『The Miseducation of Lauryn Hill(ミスエデュケーション)』を発表します。ネオソウル、R&B、ヒップホップを極めて高い次元で昇華させたこの作品は、第41回グラミー賞において主要部門である「最優秀アルバム賞」を含む史上最多タイ(当時)の5部門を受賞。女性アーティストとして前人未到の金字塔を打ち立てました。
しかし、若くしてエンターテインメントビジネスの頂点に立った代償は小さくありませんでした。メディアの過度な狂騒、プライベートへの干渉、商業主義への違和感から、彼女は徐々に表舞台から距離を置くようになります。この劇的な引き際は、単なる引退ではなく、自己の尊厳と音楽的純粋性を守るための必然的な選択だったと振り返られています。