大泉潤氏を語る上で、インターネット空間で頻繁に持ち出されるのが「有名人の身内が出馬した親族選挙」「知名度の便乗」という誤解です。しかし、函館市役所の組織力学と北海道の行政史を紐解けば、この見解がいかにピントのズレたものであるかが分かります。
実は、大泉潤氏は市長出馬を決意する以前から、市役所庁内において「将来の市長候補」「幹部中の幹部」として歴代幹部や市議会議員の間で一目置かれていた存在でした。市役所の要職である保健福祉部長時代には複雑な社会保障政策をまとめ上げ、観光部長時代にはインバウンド誘致と地域ブランド発信を主導。さらに総務部長として全庁的な予算編成と議会対策を取り仕切っていました。
つまり、大泉潤氏にとって函館市長への立候補は、タレント人気を利用した思いつきの転身などではなく、30年近く積み上げた地方公務員キャリアの正当な頂点への挑戦だったのです。むしろ選挙戦の現場では、弟が日本トップクラスの知名度を持つ俳優であることが「政策論争が矮小化されるリスク」として懸念されていたほどでした。本人も後援会もそのリスクを深く理解していたからこそ、徹底した政策本位の泥臭い地上戦を展開し、結果として圧勝を収めたという経緯が存在します。