彼女の幼少期は、まさに中東現代史の激動そのものでした。当時のベイルートはレバノン内戦の真っ只中にあり、イスラエル軍による空爆や暗殺の危険が日常に潜む極限状態でした。当時の回想録やインタビューにおいて、彼女は「夜間に爆撃の音が響くたび、明日の朝を迎えられるか分からなかった」と生々しい恐怖を証言しています。
日本赤軍の幹部を母に持つという事実は、常に命を狙われるリスクと隣り合わせでした。現地の協力者や支援組織のネットワークに守られながら、隠れ家を転々とする日々。学校に通う際も素性を明かすことは決して許されず、友人に家族の正確な素性を話せない孤独を抱えていました。
しかし、母・房子は逃亡生活の中にあっても教育を最優先し、手作りの日本語教材を用いて徹底した母国語教育を施したとされています。この幼少期の過酷な環境と徹底した言語教育が、後に多角的な視点を持つジャーナリストとしての骨格を形作ることになりました。