昭和22年を語る上で欠かせないのが「第1次ベビーブーム」の到来です。終戦による兵士の復員や海外からの引き揚げが本格化し、1947年から1949年までの3年間で約800万人以上が出生しました。中でも昭和22年の出生数は約267万8,792人(厚生労働省「人口動態統計」)を記録し、合計特殊出生率は4.54に達しました。
当時の手記や教育関係者の回顧録には、凄まじい現場の過密ぶりが生々しく記されています。
「教室が足りず、体育館や講堂をカーテンで仕切って2部授業を行った」「1クラスに60人以上の生徒がひしめき合っていた」という証言は珍しくありません。この過密な環境は、成長過程における熾烈な受験競争(高校受験・大学受験)を生み出し、昭和40年代の高度経済成長期には「猛烈社員」として日本経済を牽引する原動力となりました。
常に同世代との競い合いの中に身を置き、自らの手で道を切り拓いてきた世代特有のハングリー精神は、この昭和22年の爆発的な人口増加が背景にあります。