二人の関係を単なる「過去のタレントスキャンダル」として片付けることはできません。ここには、昭和から平成にかけての日本芸能界が抱え込み、多くの表現者を苦しめてきた旧態依然としたジェンダー規範と偶像消費の構造的暴力が凝縮されています。
当時の演歌界において、歌手はファンにとっての「理想の息子」「理想の恋人」であり続けることを強制されていました。とりわけ高齢女性ファンをコアターゲットとするビジネス構造において、アーティスト本人のセクシャリティや本音は徹底的に不可視化され、無機質なアイドル性が求められたのです。氷川きよしが長年にわたりパニック障害や過呼吸に苦しみ、心身の限界を迎えていたことは、後に自らの言葉で赤裸々に明かされています。
心理学における「心理的バウンダリー(境界線)」の観点から見れば、当時の氷川は事務所やファンからの過剰な期待と自らの本来のアイデンティティとの間で境界線が完全に崩壊し、深刻な自己喪失に陥っていました。その崩壊しかけた自我をギリギリのところで支えていたのが、松村雄基という精神的支柱だったと言えます。
松村自身、家族の介護を通じて生と死の過酷な現実を直視し、表面的な名声や虚飾に惑わされない強固な自我を持っていました。だからこそ、孤独の極みにあった氷川を包み込むことができたのです。二人が選んだ「別れ」は、一見すると保守的な業界圧力への屈服に見えますが、心理学的には互いの存在を尊厳を持って守り抜くための究極のバウンダリー防衛であったと評価できます。