四国へと続く鉄路の構想を語る上で欠かせないのが、昭和の政治史だ。「日本列島改造論」を提唱した田中角栄や、自民党の重鎮として国土開発を推進した大野伴睦らの時代、全国を新幹線網で結ぶ構想が急速に具体化した。その中で軸となったのが「神戸・淡路・鳴門ルート」である。
1973年の基本計画決定時、本州と四国を結ぶ3つのルートのうち、関西圏と四国を最短で結ぶ同ルートは極めて高いプライオリティを与えられていた。政治主導で進められたインフラ整備の熱気は、大鳴門橋という実体のある建造物として結実した。政治的思惑と地域の悲願が交錯した歴史的背景を知ると、橋の中に残された空洞の意味がより鮮明に浮かび上がってくる。