「嵯峨」という文字を冠する名字を語る上で欠かせないのが、平安時代初期の第52代・嵯峨天皇(在位809年〜823年)を祖とする「嵯峨源氏(さがげんじ)」の由来です。財政逼迫を緩和するため、嵯峨天皇は多くの子女に源(みなもと)の姓を賜り臣籍降下させました。その代表格である源融(みなもとのとおる)は『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルの一人とも称され、風光明媚な嵯峨の地に別荘「栖霞観(せいかかん・現在の清涼寺)」を築いたことで知られています。
では、「嵯峨山」という苗字は嵯峨源氏そのものの直系男子なのでしょうか。家系譜および中世史の専門研究資料を紐解くと、苗字のルーツには2つの大きな潮流が存在することが判明しています。
第1の潮流は、山城国葛野郡嵯峨(現在の京都市右京区嵯峨野一帯)およびその背後にそびえる山林(小倉山や愛宕山麓の嵯峨山)に居住した嵯峨源氏の一門や武士団が、自らの在地支配を示すために「嵯峨山」を号したケースです。中世武士は本姓(源・平・藤・橘など)とは別に、自領の地名を名字(苗字)として名乗る慣習がありました。摂津や播磨へと下向した源氏系譜の在地領主が、自らの発祥地である京都・嵯峨の山に因んで「嵯峨山」を称した記録が古文書に散見されます。
第2の潮流は、地方の小字(こあざ)や山林地名としての「嵯峨山」から派生した地名発祥説です。「さが」という古語には「坂(険しい傾斜地)」や「清らかな地」を意味する地形語の側面もあり、険阻な山裾に拓かれた集落の長がその地名を苗字とした例もあります。しかし、関西圏に現存する嵯峨山家の多くは口伝や古文書において京都嵯峨野との縁を語り継いでおり、皇族・公家に起源を持つ歴史の記憶が色濃く反映されています。