山崎ハコの経歴において、1981年リリースのシングル『織江の唄』は大きな転換点となりました。1975年にアルバム『飛・び・ま・す』で鮮烈なデビューを飾った彼女は、150cm前後の小柄で華奢な体躯からは想像もつかない重厚な低音と、人間の孤独や業を抉る鋭い表現力で「中島みゆきのライバル」と称される異彩を放っていました。
そんな彼女に熱烈なアプローチをかけたのが、小説『青春の門』の原作者である作家・五木寛之でした。五木氏自身が書き下ろした歌詞を受け取った山崎ハコは、その言葉が宿す凄まじい熱量と哀切に呼応するように、短時間で旋律を紡ぎ上げたと当時の音楽特番や手記で語られています。自作自演を基本とするフォークシンガーが他者の作詞に曲を乗せる異例の試みでありながら、両者の魂が共鳴したことで、昭和フォーク史に永遠に刻まれる金字塔が誕生しました。