『北の漁場』を巡っては、歌詞の舞台や描写について長年信じ込まれてきた「一般的な誤解」もいくつか存在します。これを正しく理解することで、楽曲の解像度は格段に上がります。
最大の盲点は、この曲が描いているのが「のどかな漁村の風景」ではないという点です。歌詞に登場する海は、穏やかな近海漁業ではありません。ベーリング海やオホーツク海の極寒の荒波、マイナス何十度という環境下で命を落とす危険と隣り合わせになりながら蟹や鱈を追う「北洋漁業」の現場です。北島三郎は手記の中で、かつて函館の港に帰港した遠洋漁業船の漁師たちの、潮風に焼かれひび割れた顔骨を見て衝撃を受けた体験を語っています。
ネット上では時折、「歌詞に登場する男の生き方が前時代的でマッチョイズムに過ぎる」という短絡的な批判が見受けられます。しかし、これは作品の根底にある「死生観」を見落とした見方です。新條カオル氏が紡いだ言葉は、単なる男自慢ではなく、「自然の猛威に対する人間のちっぽけさ」と「それでも家族のために海へ出なければならない庶民の哀歓」を対比させています。自然への畏怖と祈りが込められているからこそ、半世紀を経ても説得力を失わないのです。