高校通算本塁打数や西東京屈指の勝負強さを誇った主将・結城哲也を筆頭に、なぜ彼らは高卒プロ志望届を提出しなかったのでしょうか。公式ファンブックや作中の台詞から浮かび上がるのは、片岡鉄心監督の教育哲学と、大学野球で得られる『4年間の猶予と鍛錬』の価値です。
当時、青道高校は夏の甲子園出場を逃しており、全国大会での実績という面で全国スカウト陣への直接的な最後のアピール機会を失っていました。しかし、それ以上に大きかったのは「高校生離れした体躯とスイングスピードを持つ結城であっても、木製バットへの完全順応とプロのタフな日程に耐えうる土台を大学で固めるべきだ」という現場の判断です。
実在の高校野球界でも、名門強豪校のスラッガーが敢えて東都大学野球連盟や東京六大学野球連盟に進学し、大学日本代表を経てドラフト1位でプロ入りするルートが王道として定着しています。片岡監督自身も明治大学出身であり、大学野球の厳しさと成長効率の高さを誰よりも熟知していました。教え子たちを一時の話題性でプロの世界へ放り込むのではなく、「10年、15年と一線級で戦えるプロ野球選手」に育てるための選択肢が大学野球進学だったといえます。