『若き血』が誕生したのは、1927年(昭和2年)のことです。当時、東京六大学野球における最大のライバルである早稲田大学は、すでに名応援歌として名高い『都の西北』や応援歌を確立しており、応援席の士気において慶應義塾は劣勢に立たされていました。スタンドを沸かせ、選手の背中を強烈に後押しする「新しい時代の応援歌」が切望されていたのです。
そこで白羽の矢が立ったのが、音楽評論家であり作曲家としても活躍していた塾員(慶應義塾の卒業生)の堀内敬三でした。堀内はアメリカのミシガン大学およびマサチューセッツ工科大学(MIT)に留学した経験を持ち、アメリカの大学カレッジソングや最新のブラスバンドマーチを肌で知る人物でした。
当時の日本のカレッジソングは、荘厳で重厚なクラシック調や雅楽的な旋律が主流でした。しかし堀内は、アメリカン・マーチのリズムを取り入れ、誰でも一度聴けば口ずさめるシンプルで躍動感あるメロディを書き上げました。長大な歌詞を歌い上げる従来のスタイルを脱し、短く情熱的なフレーズを繰り返す構成を採用したことで、試合展開の早い野球場において即座に熱狂を生み出すことに成功したのです。
1927年秋の早慶戦でお披露目された『若き血』は、初演奏とともに慶應スタンドを熱狂の渦に巻き込み、見事に勝利を呼び込みました。この瞬間から、『若き血』は慶應義塾の第一応援歌としての不動の地位を確立しました。