ネット上の掲示板やSNSで頻繁に交わされる誤解の一つに、「ステンレスは絶対に磁石がつかない」「磁石がつくステンレスは粗悪な偽物である」という言説があります。材料工学の観点から言えば、これは明らかな誤認です。
ステンレス鋼(Stainless Steel)とは、鉄に10.5%以上のクロム(Cr)を添加した耐食合金の総称です。ステンレスは内部の金属組織(結晶構造)によって大きく3つの系統に分類され、磁性の有無が根本から異なります。
- オーステナイト系(代表例:SUS304):鉄にクロム18%+ニッケル8%を含有。面心立方格子(FCC)構造をとり、原子同士のスピンが打ち消し合うため、通常状態では磁石につきません。キッチンの流し台、高級調理器具、建材などに広く用いられます。
- フェライト系(代表例:SUS430):鉄にクロム16〜18%を含有し、ニッケルを含まない。体心立方格子(BCC)構造を持ち、磁石にしっかりくっつきます。冷蔵庫のドア面、家庭用小物、屋外看板などに採用されます。
- マルテンサイト系(代表例:SUS420J2):焼き入れによって硬化する組織。体心正方格子(BCT)を持ち、磁石に強く吸着します。包丁、ハサミ、工具、医療用メスなどに不可欠です。
さらに興味深い現象が、オーステナイト系(SUS304)に生じる「加工誘起マルテンサイト変態」です。元々は磁石につかないSUS304であっても、プレス加工で強く絞り込んだり、直角に折り曲げたりすると、外力によって原子配列が歪み、面心立方格子から体心立方格子へと変化します。その結果、平らな部分は磁石につかないのに、シンクの角やスプーンのくびれ部分だけ磁石がピタッとくっつくという現象が発生します。これは品質不良ではなく、高度な塑性加工が施された証拠なのです。