インターネット上やSNS上では、この写真に関して事実とは異なる言説が時折拡散されることがあります。報道記録に基づき、代表的な3つの誤解を正します。
誤解1:「広島の原爆投下直後の写真である」という混同
検索エンジンや海外のSNS投稿において、広島の原爆被害と混同されて紹介されるケースが散見されます。この写真は明確に長崎で撮影された記録です。オダネル氏は佐世保経由で長崎に入り、被爆から数カ月間の長崎の記録を詳細な撮影日誌とともに残しています。長崎原爆資料館でも長崎原爆の被害を伝える中核的な資料として位置づけられています。
誤解2:「米軍のプロパガンダや演出(やらせ)ではないか」という疑念
少年の姿勢があまりに見事な直立不動であること、弟をおぶる紐の掛け方が整然としていることから、「米軍による演出(やらせ)ではないか」という根拠のない噂が一部の掲示板等で囁かれたことがあります。しかし、これは当時の日本における教育環境と少年の置かれた心理状態への理解不足から生じた誤解です。
戦時中の国民学校では日常的に軍事教練が行われており、子どもたちにとって「直立不動」は極度の緊張や畏敬の念を表す身体表現でした。また、弟を粗末に扱わないよう丁寧に背負い紐を結んだのは、亡き肉親に対する少年の最大級の敬意と愛情の表れです。オダネル氏の手記にも、少年が誰に命令されるでもなく自発的にその場に立ち尽くしていた様子が克明に記録されています。
誤解3:「少年はその後に名乗り出た」という虚偽情報
ネット上には「少年は無事に成人し、後年になって名乗り出た」という情報が流れることがありますが、これも事実ではありません。過去に名乗り出た複数の証言者は、年齢の不一致や被爆状況の矛盾から特定には至っていません。「焼き場に立つ少年の行方」や「焼き場に立つ少年 その後」については、現在も判明していません。原爆孤児たちの多くが栄養失調や急性白血病などで命を落とした過酷な歴史を考慮すると、少年自身も戦後の混乱期を生き延びられなかった可能性が高いとみられています。