天塩町の穏やかな風景を深く理解するためには、川とともに歩んできた歴史的背景と、現在直面している冷徹な人口動態の両面を見つめる必要があります。
北海道第2位の流域面積を誇る天塩川は、古くからアイヌの人々が舟を操り生活を営んできた母なる川です。幕末には探検家・松浦武四郎がこの天塩川を幾度も遡上し、現地のアイヌ長老から聞いた言葉をヒントに「北加伊道(のちの北海道)」という地名を構想・命名したという歴史的経緯が存在します。明治以降は川を通じた木材輸送や水産加工、そして沿岸の酪農開拓によって栄えましたが、産業構造の変化とともに町の勢力図は大きく書き換わっていきました。
【天塩町が直面する過疎化の理由】
- 主産業の構造的転換:ニシン漁の消滅や沿岸漁業の縮小、酪農現場の大規模化・省力化による雇用受け皿の減少。
- 若年層の進学・就業に伴う流出:町内に大学・専門学校がなく、高校卒業と同時に旭川市や札幌市などの大都市圏へ人口が恒常的に流出する構造。
- 急激な少子高齢化:高齢化率はすでに40%を大きく突破し、地域コミュニティを維持する自治組織の担い手が急速に不足。
危機的な状況を座して見ているわけではありません。町は現在、「移住者支援金」「定住住宅建設支援事業」に加え、次世代型の「まちづくり協議会」を立ち上げ、行政主導から住民主体のアクションへと舵を切りました。さらに「天塩町ふるさと納税返礼品の評判」を戦略的に活用し、大粒しじみや宇野牧場の乳製品、タコなどの特産品を通じて得た数億円規模の寄附金を、子育て医療費の無償化やオンライン教育環境の整備にダイレクトに投資しています。
この変革の中心で動いているのが、「天塩町地域おこし協力隊」の現役隊員やOB・OGたちです。ローカルガイドツアーの造成、放棄地を活用した新規就農、廃園を活用したコミュニティカフェの運営など、外部の視点を取り入れた官民協働が実を結びつつあり、衰退一途と思われた地域に新たな経済循環と活気が生まれ始めています。