本作の根底に流れる普遍的なテーマが「人間のエゴイズム」です。Kから「お嬢さんへの恋情」を打ち明けられた瞬間、先生の心は激しい嫉妬と焦燥に支配されます。精神的向上と禁欲を重んじるはずのKが恋に落ちた事実を前に、先生は友情よりも自らの独占欲を優先させました。
ここで繰り広げられるお嬢さんの心理描写も秀逸です。お嬢さん自身はKと先生の確執に気づかず、無邪気に二人と接しています。その無垢な態度が、かえって先生の疑心暗鬼と焦りを加速させました。先生はKがいない隙を見計らい、奥さんに直接お嬢さんとの結婚を申し込み、既成事実を突きつけるという卑劣な先手を打ちます。
Kの部屋で発見された遺書には、先生への恨み言は一切書かれておらず、ただ「もっと早く死ぬべきだった」「自分には意志がない」という無念と、後始末を先生に頼む旨だけが記されていました。このKの遺書の真相こそが、先生を一生逃げられない後悔の檻に閉じ込める決定打となります。激しい罵倒や怨嗟の言葉よりも、静かな受容と沈黙こそが先生の心を生涯にわたって切り裂き続けたのです。