弘道会が裏社会の表舞台で急浮上した歴史を紐解くと、その根底には強固な服従と鉄の統制が存在する。組織の創設者である司忍組長と、それを補佐し組織の実務を取り仕切った高山清司若頭の二人体制により、弘道会は圧倒的な集金力と武力、さらには秘密主義を確立した。
この強力な指導体制は、やがて六代目山口組のトップを傘下から輩出するという歴史的転換点をもたらす。従来の関西を中心とした派閥争いの図式を塗り替え、名古屋を事実上の権力拠点へと変貌させた功績は大きく、広域暴力団のあり方そのものを根底から再定義したと言っても過言ではない。