小学校6年生の段階で、斎藤工は大きな人生の転換期を迎えます。それまで通っていた東京シュタイナーシューレを離れ、世田谷区立若林小学校へと転校したのです。この転校によって、彼はそれまでの保護された静寂の世界から、昭和から平成へと移り変わる日本の大衆文化のまっただ中へと放り込まれることになります。
公立小学校に転校した初日、クラスメイトたちが熱狂していた『週刊少年ジャンプ』の話題や、前夜に放送されたテレビ番組の会話に、斎藤は一切ついていくことができませんでした。同級生が当たり前に共有している共通言語を持たないという体験は、少年期において極めて過酷な孤独をもたらす可能性を秘めています。
しかし、斎藤工はこの孤立を自己防衛ではなく「観察」の好機へと反転させました。「なぜ彼らはこの言葉で笑うのか」「なぜ特定のテレビ番組がこれほどの熱量を生み出すのか」と、クラスの生態系を外側から冷静に見つめる視点を獲得したのです。この客観的視線こそが、後に世田谷区立富士中学校、私立日本学園高等学校へと進学する中で、彼を単なるクラスの中心人物ではなく、集団の力学を俯瞰する洞察者へと成熟させていきました。