インターネット上では「ロシア人自身も自国の筆記体を読めていないのではないか」という都市伝説がしばしば囁かれます。確かにロシア国内でも、医師がカルテに殴り書きした処方箋(いわゆるドクターズ・ハンドライティング)は「薬局の薬剤師にしか解読できない暗号」として定番のネットミームになっています。
しかし、一般的な文章においてネイティブが筆記体を淀みなく読める理由には、明確な言語処理のメカニズムが存在します。ネイティブは文字の1本1本の線を追っているのではなく、「語幹の予測」と「文法的な格変化パターンの照合」を無意識に行っています。
たとえば、文中に波線が連続する単語が出現したとしても、直前の前置詞が「о(〜について)」であれば、後ろに来る名詞は前置格(-е, -ииなど)で終わるはずだと脳が自動補正します。さらに、単語の頭文字2〜3文字と全体の語長さえ把握できれば、蓄積されたロシア語ボキャブラリーから該当する候補が一瞬で絞り込まれます。つまり、「文字を読んで単語を理解している」のではなく、「文脈から単語を推定して文字の乱れを補完している」のです。
また、現地の手書き文化における重要な慣習として、ネイティブ自身も紛らわしさを回避するために伝統的な補助記号を多用します。具体的には、小文字の「т(筆記体でm型)」の上部に水平な横棒(オーバーライン)を引き、小文字の「ш(3本線)」の下部にアンダーラインを引くことで、両者の混同を意図的に防いでいます。これは公教育の教科書にはあまり載らないものの、生きた実用手書き文字における必須の知恵です。