教科書や美術書に描かれる美女たちの肖像は、果たして当時の真実の姿を写しているのでしょうか。近年の考古学的発見や史料批判により、私たちが抱くイメージとは大きく異なる素顔が浮き彫りになっています。
クレオパトラに関しては、彼女の治世中に鋳造された同時代の硬貨(コイン)が複数現存しています。そこに刻まれた肖像は、深く鋭い鷲鼻、力強い顎、鋭利な眼光を備えたものであり、ハリウッド映画が描くような現代的モデル美女とは趣を異にします。古代ギリシャの歴史家プルタルコスは『英雄伝』の中で明確に次のように記録しています。
「彼女の美貌そのものは決して無類のものではなく、見る者を圧倒するほどではなかった。しかし、彼女との対話には抗しがたい魅力があり、その姿と語り口、そして交わされる言葉には人の心を打つ力があった」
カエサルやアントニウスを跪かせたのは、多言語を自在に操る博学と機知に富んだ対話術、心地よい声という内面的な力量でした。後世のローマ帝国が「エジプトの魔女に男たちが惑わされた」と政治的プロパガンダを流布した結果、妖艶なファム・ファタール像が固定化されたのです。
楊貴妃の肖像画や同時代の唐代美人図を見ると、現代の「スレンダー志向」とは対極にある、ふくよかな丸顔と肉感的な体つきが描かれています。唐代の長安では、豊かさと健康の象徴として豊満な肉体こそが最高峰の美とみなされていました。新鮮なライチを愛し、肌の白さと湯浴み後の美しさを玄宗皇帝に愛された彼女は、美の基準が時代や文化の産物に過ぎないことを雄弁に物語っています。
そして小野小町に至っては、同時代に描かれた肖像画が1点も存在しません。鎌倉時代や室町時代以降に描かれた絵画の多くは、小町を正面から描かず、几帳の陰に隠れた姿や、十二単をまとった後ろ姿として表現しています。「花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに」というあまりに美しく哀切な和歌の調べが、人々の脳裏に「これほどの歌を詠む女性が美しくないはずがない」という心理的確信を抱かせ、実物を見せないことで美の神格化を完成させたのです。