1944年10月23日から26日にかけて戦われたレイテ沖海戦において、最大のミステリーとして語り継がれてきたのが、戦艦大和・武蔵を擁する第一遊撃部隊の指揮官・栗田健男中将による「謎の反転(栗田ターン)」である。栗田艦隊はシブヤン海で武蔵を失う猛烈な空爆を受けながらもサンベルナルジノ海峡を突破し、25日早朝にはサマール島沖で米護衛空母群と遭遇戦を展開した。レイテ湾への突入まであと一歩、距離にしてわずか数十キロの地点まで迫りながら、栗田長官は午前中、突如として反転を命じ、北方の敵空母群を求めて変針した。
戦後長らく「なぜ目前の上陸船団を殲滅しなかったのか」「腰砕けの退却だったのではないか」と厳しい批判にさらされたこの決断だが、防衛研究所所蔵の戦史叢書や当事者たちの一次記録を丹念に紐解くと、そこには現場指揮官を追いつめた過酷な情報環境と組織の機能不全が浮かび上がってくる。
反転を決断させた決定打は、単一の理由ではなく、以下の3重の混乱が連鎖した結果であった。
- 致命的な通信不達と索敵能力の喪失:小沢治三郎中将率いる囮空母部隊が米ハルゼー機動部隊を北方に誘引することに成功していたにもかかわらず、その重要電報が栗田艦隊に届いていなかった。栗田司令部は「囮作戦が成功している事実」を知らず、孤立無援の恐怖に晒されていた。
- 「ヤキ1カ」電文と幻の敵空母群:サマール沖で護衛空母群を正規空母群と誤認して撃退に手間取った後、南西方面艦隊司令部から「レイテ湾北東に敵空母群あり(ヤキ1カ地点)」という不正確な情報(実際には誤報)を受信。レイテ湾の空っぽの上陸用舟艇を攻撃するよりも、洋上の敵機動部隊を叩くことこそが決戦艦隊の本分であると判断を誘導された。
- 突入後の全滅必至という冷徹な戦術計算:当時のレイテ湾内には輸送船の大半がすでに荷揚げを終えて退避しており、上陸船団はもはや存在しなかった。狭い湾内に突入すれば、周囲の米軍基地航空隊と残存駆逐艦の魚雷攻撃によって、大和を含む貴重な主力艦が袋の叩きに遭い、無為に全滅することは明白であった。
栗田ターンの真の敗因とは、個人の資質の問題ではない。陸海軍の連携はおろか、水上部隊と囮部隊の間の情報共有すら維持できなかった通信インフラの脆弱さ、そして「何のために突入するのか」という最終目的の曖昧さを現場指揮官に丸投げした軍令部中枢の戦略不在こそが、悲劇的な反転を招いた本質であった。