彼女の防衛相任期中で最大の転換点となったのが、南スーダンPKO日報問題だ。「廃棄した」とされた日報が防衛省内に保管されていた事実が発覚し、文民統制(シビリアン・コントロール)の不全が厳しく問われた。この問題は単なる行政の隠蔽工作にとどまらず、自衛隊組織の闇を露出させる結果となった。
特に現場である陸上自衛隊と内局(背広組)との対立、そして大臣への報告ルートを巡る混乱は、防衛組織の脆弱さを浮き彫りにした。国会での文脈の食い違いや「不適切な対応」は野党の格好の標的となり、最終的に稲田氏は辞任へと追い込まれた。組織の隠蔽体質と政治家の管理能力が問われたこの事件は、自衛隊の運用史に大きな遺恨を残した。