北海道拓殖銀行が営業継続を断念し、破綻を正式発表したのは1997年(平成9年)11月17日のことです。当時を知る市場関係者や道民にとって、この日付は日本の金融秩序が根底から覆った象徴的な節目として記憶に刻まれています。
1997年秋、日本の金融市場はすでに異様な緊張感に包まれていました。11月3日には準大手証券の三洋証券が会社更生法の適用を申請。この際、無担保コール市場で群馬中央信用組合からの資金返済が滞るという、戦後初の「コール市場デフォルト(債務不履行)」が発生しました。金融機関同士が相互の信用に基づいて無担保で資金を融通し合うコール市場の機能不全は、全国の銀行間に「次はどの金融機関が危ないのか」という強烈な疑心暗鬼を巻き起こしたのです。
その疑念の切っ先が向けられたのが、かねて巨額の不良債権を噂されていた拓銀でした。三洋証券の破綻からわずか2週間後、拓銀はインターバンク市場で翌日を越すための資金を調達できなくなり、完全に手詰まりに陥りました。さらに拓銀の破綻からわずか1週間後の11月24日には、四大証券の一角である山一證券が自主廃業を発表。当時の山一證券・野澤正平社長が「私らが悪いんであって、社員は悪くありませんから!」と号泣した会見とともに、日本発の金融恐慌は一気に現実味を帯びていきました。同年11月26日には東北を地盤とする徳陽シティ銀行も経営破綻。1997年11月は、日本の金融システムが最も死線に近づいた戦後最悪の1カ月となったのです。