花園神社が持つ特異な雰囲気は、その立地と400年以上にわたる歴史的歩みからも説明できます。徳川家康の江戸入府以前からこの地に鎮座していたと伝わる同社は、尾張徳川家の下屋敷敷地内にあった花園にちなんで「花園稲荷神社」と呼ばれたのが始まりです。
江戸時代、内藤新宿が開拓されると、神社は宿場町の総鎮守として発展しました。火災による社殿再建の資金を集めるため、境内に仮設舞台を設けて歌舞伎や芝居、浄瑠璃の興行を行った歴史があり、この頃からすでに「聖なる祈りの場」と「俗なる大衆娯楽の熱気」が混ざり合う土壌が完成していました。
現代において、神社西側は歌舞伎町、南側はゴールデン街と隣接しています。日中はスーツ姿の会社員や観光客が行き交う穏やかな杜ですが、終電を過ぎた深夜2時を回る頃には、夜の街で働く人々、泥酔者、夜更けの参拝者が交錯する異様な静寂とカオスが同居する空間へと変貌します。赤く灯る提灯の影とビルのネオンが交じり合う夜の境内は、霊的な意味とは異なる「大都市の深淵」としての恐怖を漂わせています。