中西学のキャリアは、日本スポーツ界のエリート街道からスタートしました。専修大学時代にフリースタイル100kg級で圧倒的な強さを誇り、1992年バルセロナオリンピックに出場。鳴り物入りで新日本プロレスに入門した後は、永田裕志、天山広吉、小島聡とともに「新日本プロレス第三世代」と称され、1990年代後半から2000年代のプロレス界を牽引しました。
相手を頭上に高々と担ぎ上げて背骨をへし折るように絞り上げる必殺技「アルゼンチンバックブリーカー」や、強烈な威力を誇る「野人ハンマー」「大☆中西ジャーマン」は、ファンの度肝を抜きました。また、総合格闘技路線へ傾倒した暗黒期の新日本プロレスにおいても、PRIDEなどの過酷なリングに果敢に挑むなど、団体の苦境を泥臭く支え続けた功労者でもあります。
2009年5月には、後楽園ホールで棚橋弘至を破り、悲願であった第51代IWGPヘビー級王座を戴冠。涙を流しながらベルトを掲げた姿は、ファンの記憶に深く刻まれています。不器用でありながら実直、飾らない人間味あふれるキャラクターこそが、中西学が世代を超えて愛され続ける最大の理由です。