現代のインターネットや学習参考書では、小林一茶が「子ども好きで、虫にも優しい好々爺」として無邪気に描かれる傾向があります。しかし、一次資料を精査すると、そうしたイメージとは真逆の生々しい人間像が浮かび上がってきます。
第一の誤解は、「一茶は穏やかで無欲な聖人君子だった」という言説です。実際の遺産争いにおける一茶は、決して引き下がらない強烈な執着心の持ち主でした。村の役人や親類を巻き込み、12年間かけて生家の土間の中央に仕切り板を打ち付けて半分を強引に奪い取ったほどです。他者への猜疑心が強く、日記には門人や親類への生々しい愚痴や不満が容赦なく書き殴られています。
第二の誤解は、「自然や小動物を無邪気に愛でていた」という見方です。一茶が詠んだノミやシラミ、ハエの句は、単なる愛護精神から生まれたものではありません。
「やれ打つな蠅が手をする足をする」
この句にしても、汚らわしい害虫として人間に叩き潰されるハエに、誰からも疎まれ、叩かれ続けてきた己のみじめな境遇を重ね合わせているからこその叫びです。一茶の句の根底にあるのはメルヘンではなく、「踏みつけられる弱者の側から世界を睨み返すルサンチマン(怨恨)」と、それゆえの切実な共感でした。
文政10年(1827年)閏6月1日、柏原宿を襲った大火によって一茶の家は全焼しました。家を失った一茶は、焼け残ったわずか四畳半ほどの土蔵(現在の信濃町・一茶記念館敷地内に現存)に移り住みます。窓もなく薄暗い土蔵の中で、同年11月19日、65歳でひっそりと生涯を閉じました。焼け出された土蔵の冷たい床の上で息を引き取る瞬間まで、運命は一茶に過酷であり続けました。