1970年代末のイギリスは、手厚い社会保障と国営企業の非効率、頻発する労働組合のストライキによって経済が麻痺し、「ヨーロッパの病人」と揶揄される深刻な衰退期にありました。1979年5月、政権交代を果たしたマーガレット・サッチャーが直面したのは、20%を超えるインフレーションと山積するゴミが街路を埋め尽くす「不満の冬」の爪痕でした。彼女が掲げた処方箋は、国家による手厚い保護を全否定し、徹底的な自己責任と競争原理を導入する外科手術的な大改革でした。
サッチャー政権の決定的な功績は、通貨供給量を厳格に管理するマネタリズムを採用し、狂乱物価を力づくで鎮静化させた点にあります。さらに1986年にはロンドン証券取引所の規制を一挙に撤廃する金融ビッグバンを断行。これにより、ロンドンの金融街シティはニューヨークと並ぶ国際金融センターへと返り咲き、イギリス経済の牽引役を担うことになりました。公営住宅に住む市民に対して自邸の格安購入権を認めた「ライト・トゥ・バイ(持家取得権)」政策も、中産階級の資産形成を後押しし、保守党の強固な支持基盤を築き上げました。
しかし、この華々しい再生の裏で支払われた犠牲は甚大でした。製造業への公的補助金打ち切りや高金利政策は国内工場を次々と閉鎖に追い込み、1980年代半ばには失業者が300万人を突破。伝統的な製造業が集中していた北部イングランド、ウェールズ、スコットランドでは地域コミュニティそのものが崩壊の危機に瀕しました。「勝者と敗者」を冷徹に選別する政策姿勢は、福祉に頼らざるを得ない弱者を「依存者」として切り捨てたとの烙印を押され、南部の富裕層と北部の困窮層という致命的な分断を生み出したのです。