「中居正広の全盛期はいつか」という問いに対して、テレビメディアの視聴率データおよび出演本数の統計から分析すると、明確なピークは1997年(当時25歳)から2010年前後(30代後半)の約15年間に集約されます。
10代でSMAPのリーダーとしてデビューした中居正広は、当初から順風満帆だったわけではありません。当時の芸能界は光GENJIの全盛期であり、後発のSMAPは音楽番組の減少期(いわゆる「アイドル冬の時代」)と重なる逆境に立たされていました。幼少期は「4畳半の部屋に一家5人」という極貧生活を送り、自らを「落ちこぼれ」と位置づけていた彼が活路を見出したのが、バラエティ番組での泥臭い挑戦と「司会業への特化」でした。
転機となったのは、1997年の第48回NHK紅白歌合戦における組司会への抜擢です。当時25歳での白組司会起用は、男性司会者として歴代最年少記録であり、現在に至るまでこの記録は破られていません。20代半ばにして「国民的行事の顔」となったことで、単なるアイドルタレントの枠を完全に超越しました。
続く30代に入ると、その勢いはさらに加速します。平日から週末まで、ゴールデン・プライム帯の番組表を開けば毎日のように彼の冠番組が並び、ジャニーズ最多レギュラー記録となる週10本以上のレギュラー・準レギュラーを抱える驚異的なスケジュールをこなしていました。アイドルとしてのスタジアムツアーと並行しながら、週に何十本もの収録を仕切る過密日程は、芸能界の歴史上でも極めて異例の事態でした。