水木が身を置いた大日本帝国陸軍の末端組織は、過剰な階級意識と私的制裁が日常化する絶対的な暴力空間であった。ラッパが吹けない、要領が悪いといった理由で連日容赦ない鉄拳制裁を受け続けた彼は、組織の論理がいかに個人を破壊するかを身をもって知る。人間を「兵隊」という使い捨ての部品としてしか扱わない軍隊組織の構造的病理は、彼に強烈な人間嫌いと、それ以上の人間観察の眼を与えた。
死線を彷徨う中で彼が見つめたのは、極限状態における人間の醜さと美しさの双方だった。自分の命を守るために他人を陥れる者、最後まで一本の芋を分け合おうとする者。権力を持つ者が末端の命をいかに軽視し、自己保身に走るかという構造は、彼が描いた戦後マンガの随所に透けて見える。軍隊という閉塞空間で彼が目撃した生殺与奪のドラマは、人間本性の縮図そのものだったと言える。