自民党最大派閥へと成長した清和政策研究会(安倍派)の歴史においても、安倍晋太郎は中心人物だった。盟友・竹下登、宮澤喜一とともに「安竹宮」と称され、次期総理の最右翼と目されながらも、1987年の中曽根裁定によって苦杯をなめ、その数年後に病魔に倒れた。総理総裁の座を目前で逃した父の無念。
その挫折の記憶は、息子である晋三の権力観に決定的な教訓を刻み込んだ。「力なき正義は無力であり、権力は握らなければ意味をなさない」。派閥内の権力闘争に敗れた父の背中を見たからこそ、晋三は党内基盤を強固に固め、憲政史上最長の安定政権を築き上げる冷徹なリアリストへと変貌を遂げたのである。