金太郎が和彫りの主要モチーフとして定着した歴史を辿ると、江戸時代後期の文化・文政期に花開いた浮世絵文化に行き着きます。とりわけ決定的な影響を及ぼしたのが、幕末の奇才絵師・歌川国芳(うたがわくによし)でした。
国芳が描いた武者絵シリーズ『通俗水滸伝豪傑百八人一個』が大ヒットを記録した際、江戸の庶民や火消し(消防組織)、職人層の間で空前の刺青ブームが巻き起こりました。国芳は怪童丸(金太郎)の怪力無双ぶりを躍動感あふれる構図で描き出し、水中で赤龍や巨鯉と格闘する場面を錦絵として世に送り出しました。これらを彫り師たちが忠実に皮膚へ写し取ったことが、金太郎和彫りの歴史的ルーツです。
金太郎のタトゥーデザインには、伝統的にいくつかの定型図柄が存在します。
もっとも親しまれているのは、前述の「抱き鯉(緋鯉・真鯉退治)」ですが、それに並ぶ傑作として知られるのが「熊退治(足柄山の猛獣調教)」です。足柄山で熊と相撲を取り、投げ飛ばして家来にしたという説話を描いたもので、自然界の強者を統べる絶対的な統率力と剛勇の象徴とされます。また、大鉞(まさかり)を肩に担ぎ、トレードマークである「金」の菱形腹掛けを身につけた堂々たる立ち姿も、無駄のないクラシックな意匠として選ばれ続けています。