文豪・芥川龍之介の生まれ持った苗字は、間違いなく「新原(にいばら)」です。1892年(明治25年)3月1日、東京市京橋区入船町8丁目(現在の東京都中央区明石町)にて、父・新原敏三(にいばら・としぞう)と母・フクの長男として誕生しました。出生届に記載された最初の本名は「新原龍之介」となります。
まず押さえておきたいのが、この旧姓の本名の読み方です。一般的な日本の苗字としては「にいはら」と濁らずに読まれるケースが大半ですが、父・敏三の出身地である山口県玖珂郡(現在の山口県岩国市美和町生見)における本来の家名の読みは、濁音を含む「にいばら」であることが北区飛鳥山博物館や田端文士村記念館などの公的調査資料によって裏付けられています。
では、なぜ「新原龍之介」は「芥川龍之介」へと改名することになったのでしょうか。その直接的な引き金となった生い立ちと経緯は、彼の人生の根底に暗い影を落とす悲劇から始まります。
龍之介には、彼が生まれる前年の1891年(明治24年)に6歳で夭折した長姉・ハツと、健在だった次姉・ヒサという2人の姉がいました。長男として待望されて生まれた龍之介でしたが、生後約7〜8ヶ月が経過した1892年10月頃、実母・フクが突然の精神疾患(現代の医学的見地では産褥期精神病や統合失調症と推測される病態)を発症します。昼夜を問わず錯乱状態に陥った母による育児は事実上不可能となり、乳飲み子だった龍之介は、東京市本所区小泉町(現在の東京都墨田区両国)にあった母の実家・芥川家へと預けられました。
当時の芥川家の当主は、母・フクの実兄にあたる芥川道章(あくたがわ・みちあき)でした。道章夫妻には実子がいなかったこともあり、預けられた龍之介を我が子同然に可愛がります。さらに芥川家には、生涯独身を貫いた母の姉(伯母)である芥川フキが同居しており、彼女が事実上の母親代わりとなって龍之介の養育を一手に引き受けました。
その後、実母・フクの病状が回復することはなく、龍之介が10歳となった1902年(明治35年)11月28日に享年42で死去します。母の死を機に、長男である龍之介を実家に呼び戻そうとする実父・新原敏三と、すでに10年間手塩にかけて育て上げ、芥川家の跡取りとして迎え入れたい養父・芥川道章との間で、親権と籍をめぐる交渉が約2年間にわたって続けられました。最終的に親族会議での合意を経て、1904年(明治37年)8月、龍之介が12歳の時に正式に芥川家の養子として入籍し、法的な本名が「芥川龍之介」へと改められたのです。