駅前のメインストリートに隣接しながら、園内に一歩足を踏み入れた瞬間に体感温度がすっと下がるような感覚を覚えます。鬱蒼と茂るアラカシ、クスノキ、ケヤキの巨木が頭上を覆い、足元にはゴツゴツとした黒い岩肌が露出しています。この黒い岩石こそ、今から約1万年前に起きた富士山大噴火の際、愛鷹山と箱根山の間を縫って約30キロメートルもの距離を流れ下ってきた「三島溶岩流」の末端部です。冷え固まる際にガスが抜けて生じた無数の気泡や、溶岩が波打つように固まった「パホイホイ溶岩」の痕跡が、園内のいたるところでそのまま保存されています。
明治23年(1890年)、明治維新の功臣としても知られる小松宮彰仁親王がこの地に別邸を造営した際、人工的な大規模改変を極力避け、荒々しい溶岩の奇岩群を巧みに取り込んだ回遊式庭園を完成させました。都市化が進んだ現代の三島市街地において、太古の溶岩地形と自生植物群落がこれほど広大な規模で一体化して残されている場所は他にありません。昭和29年(1954年)に国の天然記念物および名勝にダブル指定された背景には、自然科学的価値と造園技術の卓越性が奇跡的なバランスで調和しているという確固たる裏付けがあります。
さらに園内は、手入れの行き届いた回遊路を進むとアルパカやカピバラが出迎える親しみやすい広場へとシームレスにつながります。厳粛な学術記念物でありながら、市民の日常的な憩いの場としても温かく機能している重層的な懐の深さこそ、多くの旅行者や地域住民を惹きつけてやまない最大の要因です。