「多々良学園野球部はいつの間にか廃部になったのか?」という疑問を抱く高校野球ファンは今なお少なくありません。しかし事実は異なり、野球部そのものが消滅したのではなく、母体である学校法人の経営破綻によって校名変更を余儀なくされたというのが歴史の真実です。
多々良学園のルーツは1878(明治11)年に曹洞宗の僧侶養成機関として設立された「華浦精舎」にまで遡ります。100年を超える歴史を誇る名門私立男子校として地域に根ざし、スポーツ強豪校として全国的な知名度を誇っていました。転機が訪れたのは2000年代初頭のことです。防府市街地にあった狭小な旧校舎から、教育環境の近代化と中高一貫教育の強化を目指し、同市台道地区の広大な敷地への全面移転を断行しました。
この大型移転プロジェクトに投じられた建設費用はおよそ60億円超。当時は共学化を進め、全国から生徒を呼び込む青写真を描いていたものの、急速に進む少子化や生徒募集の読みの甘さが直撃します。巨額の借入金に対する返済原資を確保できなくなり、2005年10月、多々良学園は山口地方裁判所へ民事再生法の適用を申請しました。
教育機関の大型破綻という非常事態に対し、スポンサーとして名乗りを上げたのが、西日本を中心に予備校や進学塾を展開していた「タカガワグループ」でした。同グループの支援を受けて再建手続きが進められ、2006年9月、128年にわたる多々良学園の名に終止符が打たれ、学校法人名ならびに校名が「高川学園高等学校・中学校」へと刷新されたのです。ユニフォームの胸文字は「TATARA」から「TAKAGAWA」へと刻み変えられましたが、野球部の歴史と登録番号はそのまま現在の高川学園へと引き継がれています。