石川雲蝶――その異名「越後のミケランジェロ」は、決して単なる観光用の誇張ではありません。幕末の江戸・雑司が谷に生まれた雲蝶(本名・大島安五郎)は、江戸彫石の最高峰と謳われながらも、ある縁をきっかけに越後の地へと移り住みました。彼を呼び寄せたのが、西福寺第23世住職・蟠谷大純(ばんこくだいじゅん)和尚です。「良い酒と旨い煙草、そして己の技を存分に振るえる場を与えてくれれば、他に望むものはない」と語ったとされる雲蝶は、嘉永年間から安政年間にかけての約6年間、西福寺の開山堂に籠もり、鬼気迫る執念で彫刻を刻み続けました。
その集大成として今に伝わるのが、開山堂の天井中央に鎮座する大作『道元禅師猛虎調伏之図(どうげんぜんじ もうこちょうふくのず)』です。曹洞宗の開祖・道元禅師が中国で修行中、突如現れた獰猛な虎を前に座禅を組み、手に持った杖を投げたところ、虎が猛威を鎮めて平伏したという仏教説話をモチーフにしています。
この作品が観る者を圧倒してやまない最大の理由は、何重にも重なり合う極限の透かし彫りと、浮き出るような三次元の立体構築にあります。巨大な欅(けやき)材を幾層にも彫り下げ、虎の鋭い眼光や波打つ毛並み、吹き抜ける風に翻る道元禅師の衣の襞(ひだ)に至るまで、信じがたい精度で表現されています。当時の照明環境は自然光や蝋燭の灯りのみ。薄暗い堂内の光と影の陰影までも計算し尽くされた造形は、バロック彫刻やシスティーナ礼拝堂のミケランジェロを彷彿とさせ、後世の美術史家たちを唸らせる決定的な根拠となっています。