被災自治体や自衛隊、海上保安庁の現場手記や報道インタビューを紐解くと、モニター越しのネット議論とは全く異なる光景が浮かび上がります。
岩手県大船渡市で活動した英国や米国の国際緊急援助隊、宮城県石巻市に入ったイスラエルの医療支援チームなど、現場に到着した海外部隊は泥にまみれながら懸命の捜索・治療を行いました。被災地住民が残した証言録には、「言葉は通じなくても、氷点下の寒さの中で手を握り続けてくれた」「避難所で温かいスープを配ってくれた外国の兵士に頭が下がる思いだった」といった、純粋な感謝が記されています。
一方で、ネット上では「台湾の救助隊到着が中国への政治的配慮で遅れたのではないか」「韓国の救助犬が逃げ出した」といった断片的な情報が切り取られ、感情的なナショナリズムの応酬に利用されました。当時の外務省担当官が後に専門誌の回顧で「被災地の港湾や道路が破壊され、航空管制も麻痺する中で、部隊の到着順序を政治的にコントロールする余裕など微塵もなかった」と述懐している通り、現場の生々しい混乱がデジタル空間で政治的意図へと変換されてしまった側面は否めません。