谷川岳・一ノ倉沢「魔の山」の真相|戦慄の事故史と現代の絶景探訪

谷川岳・一ノ倉沢「魔の山」の真相|戦慄の事故史と現代の絶景探訪

谷川岳・一ノ倉沢「魔の山」の真相|戦慄の事故史と現代の絶景探訪の重要ポイントをお届けします。最新トレンドがチェックできます。

谷川岳の一ノ倉沢がなぜ「魔の山」と呼ばれるようになったのか。その根底にあるのは、他の追随を許さない圧倒的な遭難者数です。群馬県警察山岳遭難救助隊の統計資料によると、近代登山が本格化した1931(昭和6)年の公式記録開始から現在に至るまで、谷川岳水系で命を落とした登山者は800名以上にのぼります。この数値は、標高8,848メートルを誇るエベレストの開拓期からの通算犠牲者数(約340名)の2倍を優に超えています。

剣岳の剱沢、穂高岳の滝谷と並び「日本三大岩場」の一つに数えられる一ノ倉沢ですが、他の2峰と決定的に異なるのは首都圏からの距離の近さでした。上越線の開通によって東京から夜行列車で手軽にアクセスできるようになった昭和初期、先鋭的なクライマーたちがこぞって未踏のルート開拓に押し寄せました。ヨーロッパアルプスに匹敵する垂直の岩壁に、不十分な装備と情報で挑んだ結果、数々の悲劇が連鎖していったのです。

世界の山岳界において、標高わずか1,977メートルの山嶺腹にある岩壁がこれほどの犠牲を生んだ事例は類を見ません。単なる数字の多寡にとどまらず、岩壁に取り付いた登山者が次々と生還を阻まれる過酷な自然条件こそが、一ノ倉沢を「魔の山」たらしめた真の要因でした。

鈴木 陽菜
著者

鈴木 陽菜

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