池林房の扉を開けて階段を地下へと降りると、そこには外の喧騒とは切り離された、まるで芝居小屋の楽屋裏のような異空間が広がっています。壁一面にびっしりと貼られた演劇や映画のポスター、重厚な古材を使ったテーブル、天井から吊り下げられた裸電球の灯り。この独特な空気感こそが、半世紀にわたり表現者たちを魅了してきた最大の仕掛けです。
池林房の歴史と由来を紐解くと、オーナーの青池憲司氏が手がけたこの酒場は、単なる飲食店にとどまらず、1970年代から80年代にかけて吹き荒れたサブカルチャー運動の結節点として機能していました。特に作家の椎名誠氏率いる「昭和軽薄体」の担い手たちや「あやしい探検隊」の面々、さらには花園神社の紅テントで知られる唐十郎氏の「状況劇場」に連なる役者・演出家たちが定宿ならぬ“定酒場”として愛顧したことは有名です。
店内に文豪や演劇人が集った背景には、新宿三丁目という土地柄も深く関係しています。花園神社や紀伊國屋ホール、テアトル新宿といった文化発信拠点が徒歩数分圏内に密集しており、「舞台を終えた役者がそのまま雪崩れ込み、朝まで芝居論をぶつけ合える場所」として重宝されたのです。敷居の高い格式ばった文壇バーとは異なり、無名の下積み劇団員でも背伸びせずに通えるリーズナブルさと、どれだけ熱狂的に議論しても寛容に受け止めてくれる懐の深さが、池林房を唯一無二のカルチャースポットへと押し上げました。