関ヶ原の戦いを経て天下の覇権を握った徳川家康は、大坂城の豊臣勢力に対する最大の抑止力として名古屋城の築城を命じた。慶長17年(1612年)、完成した天守の最上層に掲げられた金鯱には、当時の慶長大判にして実に1,940枚分もの純金が惜しみなく投入されたと伝わる。
なぜ家康は、これほど莫大な富を屋根の上に晒したのか。理由は明白だ。圧倒的な財力を見せつける心理的威圧と、尾張徳川家の威光を天下に知らしめる政治的デモンストレーションである。しかし、動機は政治的プロパガンダにとどまらない。木造建築の城郭にとって最大の脅威は「火」だった。水を呼び、火災を鎮めると信じられた海獣の霊力を借りることで、難攻不落の城郭を火魔から護るという呪術的防衛の意味合いが深く刻み込まれていたのだ。