今や日曜夕方の顔として国民的番組となった『笑点』。この番組を企画し、初代司会者として茶の間に届けるシステムを構築したのが、ほかでもない立川談志だった。ブラックユーモアと社会諷刺を盛り込んだ斬新な番組構成は瞬く間に視聴者を魅了したが、彼の視線は常にその先、落語という芸の核心へと向けられていた。既成のテレビタレント像に収まることを嫌い、自ら番組を去ったエピソードは、彼の妥協を許さない純粋さを物語っている。
しかし、本当の波乱は演芸界の頂点に君臨していた「落語協会」との衝突によって巻き起こる。真打昇進試験を巡る不正や曖昧な基準に疑問を抱いた談志は、師匠である5代目柳家小さんとの深い絆がありながらも、組織のあり方に激しく反発。自ら一派を率いて協会を脱退し、「落語立川流」を立ち上げるという未曾有の賭けに出た。家元として弟子に上納金を課し、独自の昇進試験を課すシステムは当時、業界内外から激しいバッシングを浴びた。だが、それは伝統芸能に潜む事大主義を打ち破り、芸の質のみを追求するための命がけのクーデターだったのだ。