ご成婚後の雅子皇后を待ち受けていたのは、祝福の歓声だけではなかった。皇室の次世代を担うお子様のご誕生を求める圧力は、常人の想像を絶するレベルに達していた。特に宮内庁関係者や一部の保守派からは、男系男子の継承を前提とした過剰な視線が注がれていたのである。
こうした背景の中、お二人は静かに専門医の診察を受けられ、不妊治療に取り組まれることとなった。当時はまだ、公の場で生殖医療や体外受精について語ることがタブー視されていた時代である。秘匿された医療体制の中で、雅子皇后は精神的・身体的な負担を抱えながら、誠実に治療と向き合われた。1999年の妊娠兆候報道とそれに続く流産という悲痛な出来事は、日本中に大きな衝撃と深い悲しみをもたらした。
しかし、悲劇を乗り越えた先に待っていたのは、希望の光だった。天皇徳仁陛下の温かなお支えのもと、先進的な生殖医療の助けも得ながら、2001年12月1日、待望の長女・愛子内親王がご誕生される。「生まれてきてくれてありがとう」という言葉に込められた深い情愛は、多くの国民の涙を誘った。試練と苦悩を乗り越えた末に実を結んだ、感動のドキュメントである。