時を遡ること2000年代初頭、東京都が推し進めた大規模な大学行政改革の切り札として、当時の石原慎太郎知事が強烈なリーダーシップを発揮した。「これまでにない全く新しい大学を作る」という強い理念のもと、既存の枠組みを解体。その強烈な存在感を象徴するように命名されたのが「首都大学東京」だった。
一般的に「〜大学」と末尾に付くのが日本の高等教育業界における長年の慣習であったため、名詞の順序を逆転させた名称は発表直後から激しい波紋を呼んだ。学内や卒業生からは戸惑いの声も上がったが、東京都の強い主導のもとで押し切られた経緯がある。新設当初は「首都大」の略称で親しまれ、先進的な教育体制を前面に押し出すブランディングが展開された。