1965年のノーベル物理学賞は、独立にくりこみ理論へと到達した3人の物理学者による共同受賞でした。日本の朝永振一郎、そして米国のリチャード・P・ファインマン、ジュリアン・シュウィンガーです。同じ山頂を目指しながらも、彼らが辿ったルートと研究環境は驚くほど対照的でした。
とりわけ驚くべきは、米国の2人が潤沢な研究資金と最新の実験データに恵まれた環境にいたのに対し、朝永は第二次世界大戦中の日本において、完全な情報途絶と空襲の危機に晒されながら一人でこの理論を組み上げていた点です。以下の比較データは、3者のアプローチと置かれた環境の相違を浮き彫りにしています。
朝永振一郎とファインマンの比較において特筆すべきは、1948年に朝永が米国のロバート・オッペンハイマー宛てに送った1通の手紙です。戦後の海外文献がようやく日本に届き、米国の学者たちが無限大問題に挑んでいると知った朝永は、自らが戦時中にすでに完成させていた論文の英文要約を送りました。オッペンハイマーは「極東の敗戦国で、すでに完全に同一の問題がより洗練された形で解かれていた」ことに戦慄し、即座に米国の学会誌『フィジカル・レビュー』への掲載を取り計らいました。ファインマン自身も後年、「彼(朝永)の論文を読んだとき、自分が遠回りして苦労していたことを彼がとっくにクリアしていたと知って圧倒された」と率直に語っています。