全国の主要な城郭における「鶴城」の系譜を紐解くと、それぞれの立地条件と築城主の意図に応じた興味深い経緯が浮き彫りになります。
佐賀県唐津市に位置する唐津城は、一般に「舞鶴城(まいづるじょう)」の別名で知られていますが、古文書や藩政期の地誌においては「鶴城(かくじょう)」と記される事例が少なくありません。満島山を中心に左右へ広がる砂州(東の虹の松原、西の西の浜)が、まさに鶴が翼を大きく広げた姿に見えることからこの美称が定着しました。
一方、熊本城に関しては「銀杏城」の名が圧倒的ですが、加藤清正による築城初期の縄張り構想や、茶臼山の地形的特徴を捉えた雅名として一部の伝承・史料に「鶴城」の記述が見られます。難攻不落の威容を誇る城郭構造の中に、鶴の羽ばたきを思わせる扇の勾配(石垣の武者返し)の曲線美が評価された証左です。
また、愛知県西尾市の西尾城は別名「鶴城(かくじょう)」として三河地域で確固たる地位を築いており、城址一帯は現在「鶴城公園」として整備されています。大分県佐伯市の佐伯城(城山)もまた、山頂の石垣群が鶴の姿を彷彿とさせることから「鶴城」と号され、現在も麓の文教エリアにその名を色濃く残しています。