父に捨てられた長男・香川照之は、母への敬意と自立心を胸に東京大学文学部を卒業後、俳優の道へと進みました。20代半ば、俳優として頭角を現し始めた香川は、自らのルーツと向き合うため、父・猿翁の楽屋を訪ねます。しかし、そこで待っていたのは余りにも冷酷な宣告でした。
報道や香川自身の著書によると、猿翁は息子の来訪に対して次のように言い放ったとされています。
「大事な舞台の前にこういう訪ね方をするのは非常に失礼だ。今の僕にはあなたを息子と認める権利もなければ、義務もない。お互いに別の道を歩もう」
この非情な拒絶によって親子の絆は完全に断たれたかに見えました。しかし、運命の歯車を再び回したのは、皮肉にも父が愛し続けた藤間紫の存在でした。藤間紫は生前、「いつか照之ちゃんを澤瀉屋に迎え入れなければならない」と周囲に語り、親子の橋渡しを強く願っていたのです。
2009年の藤間紫の死去、そして猿翁自身の脳梗塞による体調悪化を経て、2011年、奇跡の和解が訪れます。猿翁の自宅で45年ぶりに膝を交えた父と子は、積年の恩讐を越えて抱き合いました。香川は父の介護を引き受けるとともに、自らが歌舞伎界へ飛び込む決意を固めます。
2012年6月、新橋演舞場で歴史的な襲名披露が行われました。父が「二代目市川猿翁」、息子・香川照之が「九代目市川中車」、そして香川の長男・政明が「五代目市川團子」を名乗り、三世代が同じ舞台に立った瞬間は、歌舞伎史に残る感動的な光景として語り継がれています。