千光寺公園の中腹、巨岩が連なる斜面に忽然と現れる展望デッキ。その傍らに立つ松の木は、なぜ「旗立松(はたたてまつ)」という勇ましい名で呼ばれ続けているのでしょうか。尾道市教育委員会や現地の案内板に記された史料を紐解くと、その起源は今から680年以上前、南北朝の動乱期へと遡ります。
延元元(1336)年、京都を追われて九州へ落ち延び、再び大軍を率いて東上を開始した足利尊氏は、瀬戸内海の要衝であった尾道の浄土寺や千光寺に陣を敷きました。この際、千光寺山の巨岩の上に生い茂る松の枝に錦の御旗(または軍旗)を高く掲げ、尾道水道を行き交う水軍や陸路を進む味方の軍勢へ合図を送り、全軍の士気を鼓舞したと伝えられています。
また、備後南部を拠点とした村上水軍をはじめとする瀬戸内海武士団が、航行する船を監視し陣営の合図旗を掲げたという伝承も重なり合い、いつしかこの地は「旗立松」と呼ばれるようになりました。江戸時代には、北前船の寄港地として栄えた尾道港へ出入りする商船に対し、風向きや潮汐を知らせる目印として機能した記録も残されています。
現在見ることができる松は、長い年月の間に落雷や松食い虫被害などの影響を受けながら、地域住民や保存活動によって植え継がれてきた五代目の松です。眼前を横切る細長い海を単なる風景として眺めるだけでなく、「かつて武将たちが瀬戸内海の制海権を握るために見つめた司令塔の視座」として追体験できる点こそ、この展望台が持つ最大の歴史的価値と言えます。