キャリアの絶頂期にあった1975年、突如としてギラン・バレー症候群を発症。手足の神経が麻痺し、歩行すら困難になる壮絶な闘病を経験します。奇跡的な回復を遂げて復帰を果たしたものの、1999年にこの難病が再発。激しい手足の痺れと全身の倦怠感、さらに顔面の麻痺や整形手術の後遺症による痛みに悩まされ、彼女の精神は次第に追い詰められていきました。
病気の恐怖から不眠症とうつ病を併発し、周囲のスタッフや友人に真夜中に電話をかけて激しく取り乱すなど、次第に人間関係が断絶。2009年8月6日、東京都世田谷区の自宅で冷たくなっているところを発見されました。死亡推定日は8月3日、死因は不整脈による内出血。享年62という若さでした。
センセーショナルな見出しで「悲惨な孤独死」と報道されたこの出来事ですが、孤独死の真相について、実弟である大原政光氏は自著やドキュメンタリー番組の証言で異なる見解を示しています。
政光氏によると、大原麗子は晩年、体が不自由になっても他人に弱みを見せることを極端に嫌いました。「大原麗子は美しいまま画面の中に生きるべき」という極限の美学を持っていた彼女は、老いや病によって崩れていく姿を世間や知人に晒すことを自ら拒絶し、あえて周囲を遠ざけていたのです。彼女が選んだ孤高の最期は、単なる社会的な孤立ではなく、「最後まで大女優・大原麗子であり続けたい」と願った凄絶なプライドの帰結でもありました。